いつも重たい話ばかり書いているので、今回はタイトル通りのお話を。
常々、寛容な世の中を訴えてはいますが、我が家にはあたたかな支援者がたくさんいます。
そこで最近の出来事をひとつご紹介。
娘の最後のバイト先は、あたたかな方ばかりでした。
本人が突然バイトに行けなくなった時も、電話の向こうで丁寧に話を聞いてくださり
私がお礼を兼ねて荷物を取りに伺った時も、寄り添いの言葉をかけてくださいました。
「もしここが気晴らしになるのなら、体調に合わせていつでも来てくれたらいいですよ」
「いつでも戻ってきてほしいので、そのようにお伝えください。ずっと待っていますから」
「お母さんも大変でしょう。もう知らない仲でもないから、大変な時はいつでも連絡ください」
いやいや、よく考えたら娘がお世話になったのは、たったの1か月半。
そこまで言っていただく義理はないのに、と少し驚きながら聞いていたのです。
でも、みなさんの目を見ると、本当に言葉通りに思ってくださっていることが伝わってきて、嬉しいやら申し訳ないやら…
「こんな素敵な職場に行けなくなったのには、絶対に何か理由があるはず」という娘の気づきが、セカンドオピニオンとして別の病院に足を運ぶきっかけとなり、今回の診断までたどり着く結果となりました。
ちなみにそのバイト先は、子育てや教育や福祉とはまったく関係のない職種でした。
だからこそ、親として余計に有り難かったのです。
なぜなら、受け取ったあたたかさは職務としてではなく、正真正銘ひとりの人間としてのあたたかさだから。
このような職場と自らご縁を繋いだ娘も、大したもんだと感心しています。
バイト先の皆さま、安心して療養できる環境を整えてくださり
本当に本当にありがとうございました😌