「何をもってハンデとするのか」
受け止め方は人それぞれです。
ハンデと呼ばれるひとつに「発達障害」があります。
この言葉は1963年、アメリカ合衆国の法律用語として誕生しました。
日本に入ってきたのは1970年はじめですが
すぐに広がることはなく
2004年12月に発達障害者支援法が国会を通過し
2005年度から施行され、少しずつ日本社会に浸透してきました。
発達障害と呼ばれるこどもの増加と比例して
教育現場でも特別支援学級や支援教育担当者を増やしています。
・支援を要する子どもだから、より丁寧にかかわっていこう
・その子に合った環境を作っていこう
・その子の個性をいかして、できることをみんなで考えよう
など、全国の先生方が日々尽力されています。
発達障害と呼ばれる子どもたちは
コミュニケーションをとることが苦手です。
勘違い、ケンカ、癇癪、自傷などの様子が見受けられたら
先生方は子どもの苦しい気持ちを受け止め、共感し、できることを一緒に考え、寄り添っていくことで、子どもの存在を認めながら成長に繋げていきます。
同時に、教員同士・学校家庭間で情報共有をしたり、校内研修をしたり、校外へ研修に行ったり…
このような支えの中で、救われている子どもたちがたくさんいることは事実です。
ある学校での話です。
「僕は子どもの頃から発達障害で、今でも薬を服用しています」という20代の職員が異動してきました。
有名大学を卒業していた彼ですが
気持ちの切り替えがとても難しく
常に感情を表に出しては
多くの教職員から眉をひそめられていました。
彼が言うには「ハンデを抱えている自分が職場に負担をかけているのは分かっている。
でもその理由で毎年、異動させられているのが辛い。
本当はひとつでも、どこかの学校に受け入れてもらいたい」ということでした。
確かに慢性的に人手不足で忙しい学校が
彼を受け入れる余裕はないかもしれない。
では、どうして採用したのだろう。
「子どもの発達障害」と「大人の発達障害」
の扱いがあまりにも対極であることに大きな疑問を持ったことを覚えています。
成人したら発達障害の症状が突然解消して
何の問題もなく、その後の人生を送れるわけではありません。
学校・地域・社会は、系統性をもって子どもの成長を見通せているだろうか。
発達障害と呼ばれる子どもや家族が
生き方を工夫していくこともひとつかもしれませんが
それ以上に、学校・地域・社会の意識を変えていくことが大切です。
発達障害に限らず
「ハンデは、無意識の中で社会が作り出しているものなんだなあ」
と感じた出来事でした。