思春期

エスカレーターで

「死んでもいいけど、死んじゃダメ」

NPOあなたのいばしょ代表の大空幸星さんの言葉です。

『毎日が真っ暗闇なトンネルのなかにいるようでどうしていいのかわからないとき、人の脳裏には、「究極の出口」として、自殺という言葉が浮かぶことがあります。

生きているのがあまりにもしんどいから、死んで楽になりたいという思いが芽生える。
つまり苦しみから逃れるために、命を絶つという「出口」を自分でつくってしまうのです。

そんなとき「死んではいけない」と言われることほど、苦しいことはありません。

最後に残された出口まで奪われてしまうからです。

みずから命を絶つことが「最後の出口」として残されていることが、その人が生き続けるための救いになる。出口が存在するからこそ、もう一日生きてみようと思える。

ところが大きな困難に見舞われたとき、人は孤独にさいなまれ、自分が当たり前に使っている生きる権利を使えなくなり、死を選びたくなってしまうのです。生きることができないから死を選ぶしかないのに、「死ぬな」と言われると、袋小路に入って途方に暮れるしかありません。

追い詰められた状況にある人から出口を奪うことなく、そこに近づこうとしているその人に寄り添って、生きる方向へと進路を変えること。必ず存在する別の出口にその人が気づけるよう勇気づけ、話を聴くことです(抜粋)』



大空さんのこの話を、ショッピングモールのエスカレーターで前にいた3人の若者たちを見て思い出しました。

刈り上げた頭に、尖ったファッション、中学生か高校生くらいでしょうか。
あどけない顔立ちの彼らからは、タバコのにおいが強く漂っていました。

彼らはきっと、一生懸命に出口を見つけようとしているんだろうな。

親御さんや学校の先生方としては心配でしょうけど、既に彼らは「生き方の正論」をきちんと理解しています。

問題はそこではありません。

エスカレーターに乗っている短い時間でさえも、一生懸命語り合っている彼らを眺めていると何とも健気。

出口や逃げ場を自分たちなりに模索しながら、精一杯生きているその背中に
そっとエールを送って帰りました😌