この4月に自治体後援の団体が主催する
「中高生と不登校の保護者会」へ参加してきました。
場所がショッピングモールの一室、というところに今のニーズがあるのですね🤔
私は、当事者の親として過去の経験が少しでもお役に立てたらいいな、という気持ちで参加したのですが、思わぬ気づきと出会うことになりました。
参加者は私を入れて6名で3時間を共有しました。
経験談を聞かせてほしいという方
現状を知ってほしいという方
アドバイスがほしいという方
元不登校だった20代の若者
そして我が子が最近学校に行きたくないと言い出している、と涙とともに話されていたのは
不登校支援を職業にされている方でした。
「…いったいこの清々しさは、何だろう?」
楽しい話でも何でもないはずなのに、会の後半になってくると、なぜかスーッと私の心が晴れだしました。
改めてふり返ってみると
これまで、随分とたくさんの相談員さんや相談機関にお世話になってきたなぁ…
資格や肩書きや相談経験数、そして専門知識や冷静な判断ができる立場から、教授できるものも数多くあり、色々と助けられたものです。
ただ、相談する相手によって、対応や反応は必ず異なりました。
「自分との相性」も相談相手としてはとても重要な要素でした。
それともうひとつの重要な要素が「共感力」。
専門家として冷静に対応されるが故の「他人感」が、何となく伝わってくることも事実でした。
そして今回の保護者会。
先ほどの私の清々しさの理由は「共感力」でした。
経験者に勝るものはない、ということを強く感じたからです。
「その事象(不登校)についての経験者である」ことと
「その事象(不登校)について一番共感できる」ことは、これほど同じなんだ。
当時は、早く何とかしてやりたいという焦りや不安から
誰にも負けないほど専門家への相談はしてきましたが「同じ経験をしている者同士で時間を共有する」ということを私はこれまで一度もしてきませんでした。
仕事が忙しすぎて、心身の余裕もなく
そのような発想にまで至らなかったのです。
この気づきはとても衝撃的でした。
不登校といっても、年齢・家族構成・事情・現状…
それぞれ違うはずなのに、ひとつのキーワードでこんなにも共感し合えるなんて
本当に不思議です。