人生

命より大切なこと

「2019年、神戸市の小学校で発覚した激辛カレーを無理やり食べさせたり暴行したりするなどの教員間のいじめ問題で、対応に当たっていた教育委員会の男性職員が翌年自殺し、遺族は長時間労働や、精神的負担で生じたうつ病などに適切に対応しなかったとして、妻が市に対して損害賠償を求めていた」という記事を読みました。

この大元のいじめ問題は、神戸市に限らず全国の教育現場の実態が露呈したものです。

このカレー事件を知った5年前「ああ、そういうこともあるだろうな」と特に驚くことはありませんでした。
私がこれまで過ごしてきた職場環境からすると、何も特別のことではなかったからです。

それほど、教育現場は荒れていました。
「荒れている」という表現が適切かどうかはわかりませんが、とにかくどの学校も忙しすぎて
とても落ち着いて子どもとかかわることができない状況でした。

忙しさの原因は一つではなく、色々な理由が実に複雑に絡まっています。

いくつかの現場を一定の期間、経験していかなければ実状と本音を把握することは難しいので
文科省の方々にはぜひとも複数の現場を一定期間、経験してほしいと思っています。


また、はじめは熱意をもっていた教育実習生が、実習後に教職を選択しない、
という事案が増えているそうですが
心身の健康を維持するには賢い選択です。

実際に、学校での子どもの事故・自殺や教員の過労死などといった人の命にかかわることが起こった時には「大変だ!」と危機感を持てたとしても、それは時間とともに風化していき

また、みんなが「子どもによかれ」とあれこれと積み上げていきます。

仮に今から国を挙げて、子どもたちが落ち着いて学習できる環境を整えようとしても
何十年も積み重ねてきたものは、同じ年月をかけて減らしていくことになるので
アンラーニングの実現は喫緊の課題です。

いっそ地球がリセットするくらいのことが必要なのかもしれません。



新聞記事に戻りますが、教育現場の実状が大切な命を奪うことに繋がった、という事実は永遠に消えることはないのです。

未だに教育が人の健康や命に大きくかかわっていることに胸が痛むのですが

教育内容の精選や大幅な業務の削減といった「引き算の教育」をしていくと同時に、学びの選択権を子どもたちに託していくことが急務です。

何のための教育なのか、を真剣に見直す時期はとうに過ぎています。



今回の問題の対応にあたっていた教育委員会の男性も、数年前は未来を担うひとりの少年でした。
未来に想いを馳せていたかつての少年は
いったいどのような気持ちでこの世を去ったのだろう。

今の子どもも、そして昔の子どもも、
すべての子どもたちが安心の中で健やかに成長していくことができますように。
「いろいろあったけれど、生まれてきてよかった」と最期に思えますように。