近ごろインターネット上では芸能人へのバッシングや、それに関する反応でいっぱいなので、
いつにも増してSNSを開くことに抵抗を感じています。
物質的にはこんなにも色んな物に満たされているのに
明らかに多くの人が「幸せ」でもなく「生きやすく」もない様子。
新潟青陵大学 大学院 臨床心理学研究科 碓井真史 (うすいまふみ)教授の「ネットではなぜ激しい争いが起こるか 掲示板荒らし、ネット上の非難中傷」という記事を見つけたのでお借りします。
●匿名性
心理学の実験によれば、人は自分の名前が知られず、罰を受けないときには、乱暴になりやすい。
現実生活では、刑罰を受けるかもしれないし、殴られるかもしれない、仕返しされるかもしれないと人は恐れる。だが、ネットでは匿名性というヨロイを着ることができる。
●文字だけの世界
文字だけのやり取りは、情緒よりも理論が協調されやすい。
相手の発言の隅々まで見て、反論したくなる。反論された人はさらに再反論したくなる。 マスコミへの意見も、手紙よりもメールの方が激しい批判が多いようである。
●正義の味方?
乱暴な攻撃をしている人を他人が見れば、その乱暴者を悪と見るだろう。しかし、多くの場合、その当人は自分を「善」だと思っている。
いろいろな場面で悪人どころか、むしろ「正義の味方」として現れて、自分からみた悪人、不適切な人間、どう見ても間違った(と思い込んでいる)発言に対して、激しい攻撃をする人間がいる。抜粋
他人に攻撃的になってしまうのは
不安や焦燥感に起因することがよく知られています。
また「家族に攻撃的になってしまう場合は、親の過干渉・幼少期の虐待なども原因として挙げられる」と分析している専門家もいます。
繰り返しになりますが、今は経済的にも物質的にも、ずいぶんと豊かな時代になりました。
そんな中で「子どもによかれ」という風潮が年々強くなり、
子どもへの過干渉はすっかり現代社会の大きな問題となっています。
不安にならず、欲張らず
自分の大切な人が笑顔だったらそれでいい。
自分だってありのままでいい。
何より自分がありのままの自分を許し
ありのままの自分を受け入れることができたら
自然と他人にも寛容になれるのです。
以前、教育と社会は両輪であるという話を書きました。
社会の意識を大きく変えることはとても難しいので、政治家や著名人やマスコミの方々にお任せしつつも
一方、子育てや教育に携わる人にしかできないことは多いもの。
社会の幸せとは、ひとりひとりが感じる、ほんの小さな幸せの集まりです。
大人の理想で条件をつけられることのない子どもたちが
自分にとっての小さな幸せを見つけていく、という習慣は
テストの点数や成績表よりも
ずっとこの先の長い人生を支えてくれるでしょう。
どうしても「情報」が気になるのであれば
先日の宮崎県の大地震や今回の台風5号、
そして連日の酷暑に注目してみては。
自分と、自分の大切な人の小さな幸せを守るための
大切な情報なのだから。
命より大切な情報っていったい何だろう、と一瞬思ったけれど
もしかしたら
いつか失うかもしれない「体の命」よりも
確実に日々の生活で失われている「心の命」を守るために
みんな必死なのかもしれません。