教育

ひとつのお話

小さい頃から、とても活発で笑顔が素敵な女の子がいました。

社交的で天真爛漫だった女の子は
スポーツが好きだったこともあり
中学校に入ると学校一厳しいと言われる剣道部へ入部しました。

人生はじめての剣道にもかかわらず、一生懸命練習を重ねた結果
2年連続で市の大会2位入賞を果たすほど上達しました。

彼女に才能を感じた顧問たちは、その指導に力を注ぎます。

武道ということもあって、練習は大変厳しいものでした。

冷房もない真夏の体育館で胴着に身を包み
水分をとることもままならず
顧問の怒号が飛び交う中、他の部員と一緒に女の子も精一杯頑張りました。

しかし、あまりの激しい練習に体調を崩す部員も多く、彼女も例外ではありませんでした。
時には気を失うことや、朝起きては「練習に行きたくない」と家で嘔吐することもありました。
家族は心配しながらも、毎日疲れて帰宅する女の子が安らげる家となるよう心がけました。

真面目で頑張り屋の女の子は
中学校3年間、剣道をやり遂げました。


一方、学校の勉強が得意ではなかった女の子は
受験に向けて、塾に通うことを決めました。
非常に教育熱心な地域だったこともあり、決して高いとはいえないその学力に
他の生徒や塾の先生から、存在を軽んじられている雰囲気を感じてはいましたが
それでも通い続けました。


その子にとって厳しい環境や困難な環境に耐え、乗り越え続けた結果
希望通り、志望校に合格することができました。
その頑張りに、近所の人や学校の先生たちはいつも感心していました。



しかし、徐々に女の子の様子に変化があらわれます。

高校へ進学してはじめのうちは、友だちと楽しく過ごしていたのですが
2年生になると、少しずつ学校に行くことができなくなり

3年生の夏には完全に登校できなくなりました。
一緒に卒業できなくなった女の子を、同級生たちは皆心配していました。

それからの7年間、女の子から笑顔は消え
いつも何かに怯え、大きな不安を抱え

理由もわからないまま
日に日にできないことが増えていく自分に、自信を失っていきました。

外出もままならず、何かをしようとしても手につかず、大好きだったはずの本も読めなくなります。
原因不明のこの状態に
焦燥感、絶望感、自己否定、悲しみ、怒りといった感情が膨らみ続けます。
家族に当たり、自分を傷つけ、その存在さえ消えそうな時期もあったので

心配した家族は出来る限りのことをしようと、彼女の話をきいたり、好物を用意したり、気晴らしに散歩に誘ったり、相談所へ行ったりしましたが
その甲斐虚しく、ついに彼女の心身はこれまでで一番大きな悲鳴をあげてしまいます。



女の子はこれまでしてきたことが当たり前だと思って頑張り続けてきました。
家族や先生たちも、その子に必要だと信じてきたから応援し続けました。

誰もが「それがいい」「それが常識」「それが必要」だと信じてきたのに、女の子は幸せにはなれませんでした。




「うつ病ですね。しかも発症から何年も経っているので病状はかなり進行しています。治療には時間がかかるでしょう」

女の子を診た医師は言いいました。
「通常の生活ができない状態にまで、エネルギーが下がっているのに
仕事なんてできる訳がないし、絶対にしてはいけないよ」

理由もわからず
友だちと会えない自分。
社会に出られない自分。
同年代の人が当たり前にしていることができない自分。

彼女の心身が大きなSOSを出したのは
そんな人生を何とか変えようと
アルバイトを始めて2ヶ月ほど経った頃でした。

病院で「診断名」と「絶対安静」の言葉を渡された瞬間
それまで険しかった彼女の顔が、少し緩みました。

「私のワガママでも、能力不足でも、努力不足でもなかったんだね。私はダメな人間じゃなかったんだね」。


これまでマジョリティで、当たり前だと思われてきた子育てや教育の中での、ひとつのお話です。




ずいぶんと長い間、辛いおもいをさせてしまいました。


親として、教育者として、私は本当に無知で無力でした。

娘が健康と自信を取り戻すまで
ゆっくり、ゆっくり、寄り添っていこうと思います。