安心

ベクトルの向き

子どもであっても、大人であっても
自分を保つためにSOSや主張を発信しなければならない時があります。

これは、緊急事態で発動される
誰もが生まれ備わった力だと感じてきました。

「もうダメだ、誰か助けて」
「こうしたい、したくない」など

自分のSOSや主張のベクトルが内側に向くと、引きこもりや自傷行為といった行動となり

外側に向くと、精神疾患や非行など反抗的攻撃的な行動となってあらわれます。

また内側と外側の両方に向いている場合もあり、引きこもっている人が家族に攻撃をしている状態はこれに当たります。

内側・外側どちらであっても
当事者たちは大きな苦しみを抱え
日々葛藤しながら過ごしていて

それを支える家族も事情は違えど
毎日悩みながら必死で当事者に向き合っています。

このような終わりの見えない状況に
延々と向き合い続けるエネルギーは
相当なもの。

以前から私が気になっているのは
ベクトルが内側に向いている人たちには社会の手が差し伸べやすいのに対して(もちろんまだまだ課題はあります)

外側に向いている人たちは社会から
「迷惑をかけるな」と非難される傾向にあるということ。

当然ながら、迷惑行為を容認するということではありません。

  
ただ社会の一員として気をつけたいのは

SOSや主張のベクトルが
内側であっても、外側であっても
「人が困っている」という事実に対して

「どうしたの?」
「話を聴こうか?」
「何かできることはない?」
といった寄り添いができないとしても

支援者のエネルギーを闇雲に奪わないようにはしたいということです。

それぞれの立場もある上に
とてもセンシティブな問題なので
今の日本ではまだ簡単に共有できる話ではありません。

そこに大きなジレンマを感じています。

「誰もがありのまま受け入れられる、あたたかい、寄り添える社会」。

綺麗事だけでは実現できないテーマですが、私にできることを少しずつ続けていきたいと思います。